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宣戦の詔書

三島由紀夫の檄文 (市ヶ谷駐屯地にて)  島崎藤村 「初恋」  終戦の詔書                                                         

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◆宣戦の詔書                  昭和16年12月8日        現代文訳、後段にあり

 

天佑を保有し萬世一系の皇祚を踐める大日本帝國天皇は、昭に忠誠勇武なる汝有衆に示す。

朕、茲に米國及英國に對して戰を宜す。朕が陸海將兵は全力を奮て交戰に從事し、朕が百僚有司は勵精職務

を奉行し、朕が衆庶は各々其の本分を盡し、億兆一心國家の總力を擧けて征戰の目的を達成するに遺算なか

らむことを期せよ。

 

抑々、東亞の安定を確保し以て世界の平和に寄與するは、丕顯なる皇祖考、丕承なる皇考の作述せる遠猷にし

て、朕が拳々措かざる所而にして、列國との交誼を篤くし萬邦共榮の樂を偕にするは、之亦帝國が常に國交の

要義と爲す所なり。今や不幸にして米英兩國と釁端を開くに至る、洵に已むを得さるものあり。豈朕が志ならむや。

中華民國政府、曩に帝國の眞意を解せず、濫に事を構へて東亞の平和を撹亂し、遂に帝國をして干戈を執るに

至らしめ、茲に四年有餘を經たり。幸に、國民政府更新するあり。帝國は、之と善隣の誼を結ひ相提攜するに至

れるも、重慶に殘存する政權は、米英の庇蔭を恃みて兄弟尚未た牆に相鬩くを悛めず、米英兩國は殘存政權を

支援して東亞の禍亂を助長し、平和の美名に匿れて東洋制覇の非望を逞うせむとす。剰へ與國を誘ひ、帝國の

周邊に於て武備を増強して我に挑戰し、更に帝國の平和的通商に有らゆる妨害を與へ、遂に經濟斷交を敢てし、

帝國の生存に重大なる脅威を加ふ。朕は政府をして事態を平和の裡に囘復せしめむとし、隠忍久しきに彌りた

るも、彼は毫も交譲の精神なく、徒に時局の解決を遷延せしめて、此の間却つて益々經濟上軍事上の脅威を

増大し、以て我を屈從せしめむとす。斯の如くにして推移せむか、東亞安定に關する帝國積年の努力は悉く水泡

に帰し、帝國の存立亦正に危殆に瀕せり。事既にに至る帝國は、今や自存自衛の爲、蹶然起つてー切の障礙

を破碎するの外なきなり。

 

皇祖皇宗の神靈上に在り。朕は汝有衆の忠誠勇武に信倚し、祖宗の遺業を恢弘し、速に禍根を芟除して東亞

永遠の平和を確立し、以て帝國の光榮を保全せむことを期す。

(原文はカタカナ、句読点・濁点なし)

 

 

宣戦の詔書(現代文訳)

 

天の助けを持ち、万世一系の天皇の位につく大日本帝国天皇は、まさに忠誠で勇武なるあなた方国民に

示す。私はここに、米国および英国に対して戦争を布告する。陸海軍の将兵は全力をふるって交戦に従事し、

官僚は職務を全うし、国民はそれぞれの本分を果たし、全ての国民が心を一つにし、国家の総力を挙げて

戦争におもむく目的を達成するために、手落ちのないように心がけてほしい。

 

そもそも、東アジアの安定を確保し、これによって世界の平和に寄与することは、おおいに輝かしい皇祖考

(=明治天皇)、それを立派に受け継いだ皇考(=大正天皇)が述べられたことであり、私もそれを心に留めて

きたところである。多くの国と親しく交際し、あらゆる国とともに共栄を図ることは、帝国が常に国交の重要な

意義としているところである。今や、不幸にして米英両国と戦いを始めるのが避けられなくなっている。これは

私が望むものではない。先に、中華民国政府は、帝国の真意を理解せず、無用に事をあらだてて東アジア

の平和を撹乱し、ついに帝国と戦争を行うに至り、すでに4年を経過した。幸いなことに国民政府がこの状態

を更新しようとしており、帝国はこちらと国交を結び互いに提携するようになったが、重慶に残存する政権は、

米英の庇護を頼り、自国内で争うことを止めようとしない。米英両国は、残存政権を支援し、東アジアの騒乱

を助長し、平和の美名の下に東洋制覇の高望みを強くしている。さらに、同盟国を誘い帝国の周辺に軍備を

増強して我が国に挑戦し、帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与え、ついに経済断交を行い、帝国の生存

に重大な脅威を加えている。私は政府に、平和のうちに回復させようとし、じっと我慢をしていたが、かの国

はほんの少しも互いに譲り合う気持ちがなく、無用に時局の解決を引き延ばして、その間にさらに経済上軍事

上の脅威を増大し、我が国を屈服させようとしている。このようにして、東アジアの安定に関する帝国の長年

の努力はことごとく水泡に帰し、帝国の存続がまさに非常に危険な状態に瀕している。このような事になり、

帝国は自存自衛のため、勢いよくたちあがり、一切の障害を破砕するほかにない。

 

天皇歴代の祖先の御霊が我々にはついている。私は、あなた方国民の忠誠さ勇武さを信頼し、祖先の遺業

を成し遂げ、速やかに災いの元を除き去り、東アジアの永遠の平和を確立し、これによって、帝国の栄光を

保全することを望む。

 

(この文章は、富山いづみが「宣戦の詔書」を現代文に書き下したものです。一部意訳した部分があります。

かっこ内は意味をわかりやすくするために補ったもので、原文にはありません。)

 

 

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◆三島由紀夫の檄文

 

「激」   楯の会隊長 三島由紀夫       (昭和45年11月25日 自衛隊市ヶ谷駐屯地にて)

                                                                                                   同日、割腹自殺

我々楯の会は、自衛隊によって育てられ、いはば、自衛隊は、我々の父でもあり、兄でもある。その恩義に報い

るに、このような忘恩的行為に出たのは何故であるか。省みれば、私は四年、学生は三年、隊内で準自衛官と

しての待遇を受け、一片の打算もない教育を受け、又、我々も心から自衛隊を愛し、もはや隊の柵外の日本に

はない「真の日本」をここに夢み、ここでこそ終戦後ついに 知らなかった男の涙を知った。ここで流し我々の汗

は、純一であり、愛国の精神を相共にする同志として 共に富士の原野を馳駆した。このことには、一点の疑い

もない。

我々にとって 自衛隊は、故郷であり、生ぬるい現代日本で凛冽の気を呼吸できる唯一の場所であった。教官、

助教諸氏から受けた愛情は、測り知れない。しかもなお、敢てこの挙に出たのは何故であるか。たとえ、強弁と

言われようとも、自衛隊を愛するが故であると私は断言する。

我々は、戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に

走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ 落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の

保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずに ただ、ごま

かされ、日本人自ら、日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった。我々

は、今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が 残されているのを夢見た。しかも法理論的

には、自衛隊は、違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によって

ごまかされ、軍の名を用いない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因をなして来ているのを見た。

もっとも名誉を重んずべき軍が、もっとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。自衛隊は敗戦後の国家の

不名誉な十字架を負い続けて来た。自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与へられず、警察の物理的に巨大な

ものとしての地位しか与えられず、その忠誠の対象も明確にされなかった。我々は、戦後のあまりに永い日本の

眠りに憤った。自衛隊が目ざめる時こそ、日本が目ざめる時だと信じた。自衛隊が自ら目ざめることはなしに、

この眠れる日本が、目ざめることはないのを信じた。憲法改正によつて、自衛隊が建軍の本義に立ち 真の国軍

となる日のために、国民として微力の限りを尽すこと以上に 大いなる責務はない、と信じた。

四年前、私は一人、志を抱いて自衛隊に入り、その翌年には、楯の会を結成した。楯の会の根本理念は、ひとえ

に自衛隊が目ざめる時、自衛隊を国軍、名誉ある国軍とするために、命を捨てようという決心にあった。憲法改正

が、もはや議会制度下では、難しければ、治安出動こそ、その唯一の好機であり、われわれは治安出動の前衛

となって命を捨て、国軍の礎石たらんとした。国体を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である。政体を警察

力を以て守りきれない段階に来て、はじめて軍隊の出動によって 国体が明らかになり、軍は建軍の本義を回復

するであろう。

日本の軍隊の建軍の本義とは、「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る」ことにしか存在しないのである。

国のねじ曲がった大本を正すという使命のため、我々は、少数乍ら 訓練を受け、挺身しようとしていたのである。

しかるに、昨昭和四十四年十月二十一日に何が起ったか。総理訪米前の大詰ともいうべき このデモは、圧倒的

な警察力の下に不発に終った。その状況を新宿で見て、私は、「これで憲法は変らない」と痛恨した。その日に何が

起ったか。政府は、極左勢力の限界を見極め、戒厳令にも一しい警察の規制に対する一般民衆の反応を見極め、

敢て「憲法改正」という火中の栗を拾はずとも、事態を収拾しうる自信を得たのである。治安出動は不要になった。

政府は、政体維持のためには、何ら憲法と抵触しない警察力だけで乗り切る自信を得、国の根本問題に対して頬

つかぶりをつづける自信を得た。

これで、左派勢力には憲法護持の飴玉をしやぶらせ続け、名を捨てて、実をとる方策を固め、自ら護憲を標傍する

ことの利点を得たのである。名を捨てて、実をとる!政治家にとっては、それでよからう。しかし自衛隊にとっては、

致命傷であることに、政治家は気づかない筈はない。そこでふたたび、前にもまさる偽善と隠蔽、嬉がらせとごまかし

が、始まった。

銘記せよ!実は、この昭和四十五年十月二十一日という日は、自衛隊にとっては、悲劇の日だった。創立以来、

二十年に亙って、憲法改正を待ちこがれてきた自衛隊にとって、決定的に その希望が裏切られ、憲法改正は、

政治的プログラムから除外され、相共に議会主義政党を主張する自民党と共産党が非議会主義的方法の可能性

を晴れ晴れと払拭した日だった。論理的に正に、この日を境にして、それまで憲法の私生児であった自衛隊は、

「護憲の軍隊」として認知されたのである。これ以上のパラドックスがあらうか。

我々は、この日以後の自衛隊に一刻一刻注視した。われわれが、夢みていたように、もし自衛隊に武士の魂が、

残っているなば、どうして、この事態を黙視しえよう。自らを否定するものを守るとは、何たる論理的矛盾であらう。

男であれば、男の誇りが、どうして これを容認しえよう。我慢に我慢を重ねても、守るべき最後の一線をこえれば、

決然、起ち上がるのが男であり、武士である。我々は、ひたすら耳をすました。しかし自衛隊のどこからも、「自ら

を否定する憲法を守れ」という屈辱的な命令に対する、男子の声は、聞こえては来なかった。かくなる上は、自ら

の力を自覚して、国の論理の歪みを正すほかに道はないことがわかつているのに、自衛隊は声を奪はれたカナ

リヤのように黙ったままだった。 我々は、悲しみ、怒り、ついには、憤激した。諸官は任務を与えられなければ何

もできぬという。しかし諸官に与えられる任務は、悲しいかな、最終的には、日本からは来ないのだ。シヴィリアン

・コントロールが民主的軍隊の本姿である、という。しかし、英米のシヴィリアン・コントロールは、軍政に関する財務

上のコントロールである。日本のように 人事権まで奪はれて去勢され、変節常なき 政治家に操られ、党利党略

に利用されることではない。 この上、政治家の嬉がらせに乗り、より深い自己欺瞞と自己冒涜の道を歩もうとする

自衛隊は、魂が腐ったのか。武士の魂はどこへ行つたのだ。魂の死んだ巨大な武器庫になって、どこへ行かうと

するのか。繊維交渉にあたっては、自民党を売国奴 呼ばはりした繊維業者もあったのに、国家百年の大計に

かかはる核停条約は、あたかも かっての五・五・三の不平等条約の再現であることが明らかであるにもかかわ

らず、講義して腹を切るジェネラル一人、自衛隊からは出なかった。沖縄返還とは何か?本土の防衛責任とは

何か?アメリカは、真の日本の自主的軍隊が、日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年の

内に自主性を回復せねば、左派のいう如く、自衛隊は永遠に アメリカの傭兵として終るであらう。 我々は、四

年待った。最後の一年は熱烈に待った。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。しかしあと三十分、

最後の三十分待とう。共に起つて義のために共に死ぬのだ。 日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命

尊重のみで、魂は、死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそ 我々は、生命尊重以上の

価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。我々の愛する歴史と伝統の

国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。もしいれば、今からでも共に

起ち、共に死なう。我々は、至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇えることを熱望するあまり、

この挙に出たのである。

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◆島崎藤村 「初恋」

 

「まだあげ(そ)めし前髪(まえがみ)

 

林檎のもとに見えしとき   前にさしたる花櫛(はなぐし)

 

花ある君とおもひけり    やさしく白きてをのべて

 

林檎をわれにあたへしは   薄紅(うすくれない)の秋の実(み)

 

ひとこひ(そ)めしはじめなり」

 

島崎藤村は、明治5年(1872)3月25日(旧暦2月17日)、中山道「馬籠」の旧本陣で生まれる。「初恋」の

発表によって 一躍、近代浪漫主義の代表詩人としての名をあげる。

10月30日は、初恋の日。島崎藤村ゆかりの宿である長野県小諸市の中棚荘が制定。1896年(明治29)、島崎藤村

が『文学界』46号に『こひぐさ』の一編として初恋の詩を発表した。毎年、初恋をテーマとした「初恋はがき大賞」等

のイベントを行っている。

 

 

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◆終戦の詔書         (下段  現代文訳)

 

朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク

私は、深く世界情勢と帝国(=大日本帝国)の現状とを考慮して、非常の措置によつて事態を収拾しようと考えて、

ここに、忠良なるあなた方国民に告げる。

朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ

私は、アメリカ・イギリス・支那(中華民国)・ソヴィエト連邦に対してその共同宣言(=ポツダム宣言)を受諾すること

を、帝国政府に通告させた。

抑々帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所曩ニ米英二國

宣戰セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他國ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固

ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戰已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海將兵ノ勇戰朕カ百僚有司ノ勵精朕カ一億衆蔗ノ奉公各ゝ

最善ヲ盡セルニ拘ラス戰局必スシモ好轉セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ残虐ナル爆彈ヲ使用シ

頻ニ無辜ヲ殺傷シ慘害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戰ヲ繼續セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ

招來スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神靈

ニ謝セムヤ是レ朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ

そもそも、国民の平和と安寧を図り、世界との共栄を喜びとすることは、代々の天皇の遺範であつて、私も常々

にとどめて来たことである。先に、アメリカとイギリスの二箇国に対して宣戦したのも、ただ帝国の存続と

東アジアの安定とを願つてのことであり、(ポツダム宣言に書かれてゐるやうな、)他国の主権を排除したり領土

侵したりといふやうなことは、もとより私の考へてゐたことではない。しかしながら、戦争が始つてから既に4年

を経過して、我が国の陸海軍の将兵の勇戦、多数の官僚のの励精、一億の国民の奉公、いづれもが最善を尽

くしたにもかかはらず、戦局は必ずしも好転せず、世界の情勢は我々にとつて有利ではない。さらに、敵は新た

に残虐な爆弾(=原子爆弾)を使用して何の罪もない市民を頻りに殺傷し、惨害が及んだ所は誠に測り知れない

になつてゐる。それでもなほ戦争を継続しようとすれば、つひには我が民族の滅亡を招くだけでなく、ひいては

人類の文明までも破壊してしまふだらう。そのやうになつたら、私はどのやうにして、億兆もの赤子(とも言ふべき

国民)を守り、代々の天皇に謝罪すればよいだらうか。これが、私が帝国政府に対し共同宣言に応じるやうに

させた理由である。

朕ハ帝國ト共ニ終始東亞ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝國臣民ニシテ戰陣ニ死シ

職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内爲ニ裂ク且戰傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ

厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕

善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス

私は、帝国とともに終始東アジアの(帝国列強からの)解放に協力して来た諸国に対し、遺憾の意を表さざるを得

ない。帝国の国民であって、戦場で戦死し、職場で殉職し、悲惨な最期を遂げた人々やその遺族に想いを巡らすと、

我が身が引き裂かれる思ひである。また、戦傷を負ひ、災禍を被り、職を失つた人々の再起については、私が深く

心配してゐる所である。思ふに、今後帝国が受けるであらう苦難は、非常に大変なものである。あなた方国民の

(降伏に対する)無念の気持も、私はよく理解してゐる。しかし私は、事態の趨勢に従ひ、堪へ難いのを堪へ、忍び

難いのを忍んで、将来の為に平和への道を選ばうと思ふ。

朕ハ茲ニ國軆ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事

端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ亂リ爲ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宜シク擧國

一家子孫相傳ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力ヲ將來ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏

クシ誓テ國體ノ精華ヲ發揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民共ニ克ク朕カ意ヲ體セヨ

私はここに、国体(=天皇を中心とした国の形)を守り通すことができ、忠良なあなた方国民の忠誠を信頼し、常に

あなた方国民と共にある。もし激情のままに無用の混乱を引き起こしたり、あるいは同胞と分裂して争ふ等して

時局を乱し、その為に大道を誤り、世界の信用を失ふやうなことは、私が最も強く戒めることである。国民皆が子孫

に至るまでも、神州(=日本)の不滅を固く信じ、(それぞれに課せられた)責任の重さと(今後の)長い道程を自覚し、

総力を将来の建設に傾け、道義を重んじ志操を堅くし、必ず国体の精華を発揚し、世界の発展に遅れることのない

やう努めるべきである。あなた方国民は、どうか(以上のやうな)私の意思を理解して欲しい。

 

御名御璽

昭和二十年八月十四日

 

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